数学は大事な教科って分かってるけど
どうやって勉強していいか分からない…
そういう悩みを抱えている中学生は、多いのではないでしょうか?
学習法はもちろんですが、「やる気(≒モチベーション)」も、きっかけを掴むための大切な要素です。
この記事では、数学の学習についての考え方や指導する上でのスタンスの視点から、お話ししていこうと思います。
過去の復習に時間を取られすぎると現在の学習が疎かになります
数学が苦手になった、そもそものきっかけを考えてください。
「学校の授業が分からなくなった」という時期が、どこかにあったはずです。
苦手になっている部分(単元)を振り返ることはもちろん大事です。
ただ、そのために学校で今まさに学習している内容を置き去りにしても、悪循環からは決して抜け出すことはできませんよね。
ここで教科書の単元をまとめてみました。
教科書の単元の並び(「啓林館」出版の例)です。
他の教科書出版会社のものも、これと似たような感じです。
これを見ると各学年の単元がリンクしているのをお分かりいただけますよね?
苦手になってしまった子どもが、どの学年からでも復活できるよう、実に合理的な配慮がなされています。
「比例・反比例」の例で考えてみましょう
中学1年生の「比例・反比例」は、中学2年生の「一次関数」の学習過程で復習できるようになってます。
数学が苦手な子ほど「復習」に時間を費やす傾向にありますが、
実は、わざわざ1年生の段階に戻って学習する必要はないのです。
中1で学習する「比例」が苦手な場合、「一次関数」を学習しているときは完全に無視してしまっても大丈夫です。
「比例」は「一次関数」を学習するための準備にしかすぎません。
たとえばグラフを描く際に、
「比例」は座標と座標(点と点)をつないで直線を描くのが基本。
「一次関数」では直線を動き(変化)としてとらえます。
考え方としては「一次関数」の方がずっと合理的ですし、中3で学習する「二次関数」への汎用性も高いです。
ですから中1の「比例」が苦手だからといって、もどって勉強し直すなど、まったく必要ありません。
ココで数学が苦手な子にひと言!
「分からない。」はホントに真剣にやった結果からの言葉ですか?
忘れているのは「公式」や「定理」なんかではなく、「前向きに努力する気持ち」なのではないですか?
数学は教えすぎたらダメ
ハッキリ言ってしまえば、「教えたがりの人」は数学の指導には向いていません。
数学は「過程」が重要な教科です。
一つの問題に対し、いろいろな方向から解法を模索しているときこそが、その子の「数学の力」がぐんぐん成長している瞬間です。
仮にそのとき正答できなかったとしても、似たような問題に何度も向き合っていれば、ゴールは次第に近くなってくるはずです。
そして、いつかきっと一人の力で、その問題のゴールまでたどり着けるようになるでしょう。
そのときには「自信」というおまけまでついてきます!
いずれにせよ問題で悩んでいる子を、即座にスッキリさせてあげるのは、適切な数学の指導とはいえません。
数学にとって重要な「論理思考」も、教えて身につくものではありません。
数学は「教えること」より「教えないこと」のほうがずっと難しい教科なんです!
やはり重要なのは幼児教育
親が数学が得意であれば、子どもも数学が得意になるケースはよく見かけます。
それを遺伝のせいにしまえば、この話も終わってしまいますが。
子ども時代に数学が得意だった親は、数学の学習法を自身の体験から熟知しています。
要はそのような親が優れているのは、「数学の力」などではなく、子どもの「導き方」だということです。
おそらく「教え方」でもありません。
おわりに
「正解を出せなければ意味がないし実力も伸ばせない」…なんてこと思ってませんか?
たとえ実感が湧かなくても、正解を求めて必死で考えてるあいだはずっと、数学脳がどんどん鍛えられます。
数学は、その”解いている過程”で「実力」、そして”正解が出た瞬間”に「自信」が身につく教科だと思いましょう。
設問に真剣に向き合っている時間は、1分・1秒たりとも決して無駄になることはありません!
数学への苦手意識は根が深いことが多く、それを取り去るのがとても難しい教科です。
反面、ちょっとしたきっかけで急激に伸びる可能性のある教科でもあります。
そのきっかけは、学校や塾での指導に限ったものではありません。
自身が数学の問題に対して真摯に向き合う姿勢になった時点で、それが苦手克服の第一歩になるでしょう。