今日は塾はお休みです。
子どもたちも明後日の体育大会を控え、それぞれの準備をしていることでしょう。
私は、今日私服にて出勤…心待ちにしていた休みですが、子どもたちがいない今日の塾はやはり少し寂しい感じです。
仕事の合間に、少し書き込みを…。
塾で特に大事に考えていること
それは、子どもたちに「気持ちよく勉強してもらうこと」。
「気持ちよく」とはもちろん『自分の意志で』ということです。
このホームページでも塾の方針は「自主性」としてあります。
「自主性」を重要だと考えるのにはもちろん理由があるのです。
入塾当初は、今まで学習することを自分から放棄していた子どもたちには特に厳しく指導します。
なぜなら、まず「自信をつけさせる」ためには、それが必要だからです。
要はそのあとのこと…「塾を卒業するまでずっとそのような指導を続けていていいものだろうか?」
普段から子どもたちの顔を見ていて気付くことがあります。
それは、こちらが勉強を「させている」子どもと、自主的に塾に来て勉強「している」子どもは、まったく違う顔つきをしていること。
顔つきというより目つきと言う表現の方が正しいかもしれません。
成績にそれぞれ差はあれど、自主的に勉強に取り組んでいる子どもは皆、同じ顔つき・目つきをしています。
そして自主的に勉強を「している」子はこちらの予想以上の伸びを見せてくれます。
それとは逆に、こちらが無理矢理「させている」子どもの伸びには限界がある…そのことを強く感じます。
願わくば、子どもたち全員が自分の意志で勉強に取り組むようになってほしい。
月並みなやり方ですが、「叱る」よりも「褒める」ことが大事だと思います。
特に、子どもが「褒めてほしい」タイミングを絶対に見逃さないこと。
それを軽く流してしまったり、逆に叱ってしまおうものなら100パーセントやる気を失ってしまいます。
ですからこちらから見ればたとえ「まだまだ」と思える成績であったとしても…子どもが「成績上がった!」と言いながら嬉しそうに成績表を持って来ようものなら、一緒になって大いに盛り上がります。
そういう意味では「褒める」というより「一緒になって喜ぶ」という感じでしょうか。
「叱る」タイミングもまたそれ以上に難しいのかもしれません。
塾で教えているとはいえ、私はお父さん・お母さんほどよくその子どものことを理解することはなかなかできません。
ですから、そのタイミングをはかるのにはいつも細心の注意が必要。
私はいつも自分が学生だったころを振り返りながら考えるようにしています。
「はたして叱られて本当にやる気になったことがあっただろうか??」と…。
「叱る」ことは子どもたちにとっては単なる起爆剤。
以前はよく、塾の上司や先輩から「叱ってしまった時点でこちらの負け」と言われてきました。
今ではその意味が私にもよく分かります。
叱らなければならない状況になってしまうのは、結局指導する側にも責任がある。
「子どもを叱る前に、まず自分自身のことを振り返ってみたら?」という意味だったのでしょう。
子どもを指導していく上でそれはいちばん楽な方法かもしれません。
もともと私は厳しく指導することに対しては肯定派です。
以前勤めていた塾では、「楽しい授業では何も変わらない」「子どもたちを変えることができない」という信念を持って授業をしていました。
厳しい指導なくして「褒める」もなにもないという考えだけは今も変わっていません。
そして子どもたちのことをいつも精一杯考えていれば、必ずその想いは通じると信じています。
塾は子どもたちにとって「居心地のよい」、尚且つ「規律のある」場所でなければならない。
子どもたちが「塾に通えば成績が伸びる」と信じて通ってきてくれているかぎりは、これからもそれを目指していきます。